Butterfly……
『妹を作りなさい』 それは梅雨も明けて、夏休みを控えた今、薔薇の館ではよく耳にする言葉だった。 言うのは蓉子。 その言葉を口にすれば祥子の機嫌が悪くなると分かっていて、 何にせよ、二人の間ではこの会話は定番になっていて。 勿論今日も例外ではなく。 (……ざらざらとして素敵な舌触りねえ) 苦笑と共に喉元まで出かけた皮肉すらも飲み込んで、 不機嫌な祥子が入れるお茶は、銘柄を問わずまずくなると分かっていて頼むのだから、 眉をひそめてむっつりと黙り込む祥子は、けれど帰る素振りもない。 (……まったく) 姉妹になったばかりの頃に比べれば幾分思いを口に出すようになったとはいえ、 「……祥子」 蓉子が投げた声は穏やかだった。 「祥子?」 尋ねてみても、返答はなかった。 「祥子、言いたい事があるなら言いなさい」 相変わらず祥子は無言だった。 「お姉さまの」 「命令、ですか?」 刺々しく返した祥子は、けれどその声ほどは瞳に力はなくて。 「そうよ?」 柔らかに笑んだ蓉子に、小さな溜息を一つ。 「言葉にしてくれなければ、理解出来ない事は世には溢れているわ。祥子の事もそう。 「……嘘つき」 口の中で呟かれた言葉は、蓉子の耳にも届いた。 「単純に言わせたいだけではなくて?」 祥子の問いに、蓉子は静かな微笑みを湛えた。 微かに溜息を漏らした蓉子が、祥子へと手を伸ばす。 「止めなさい、傷になるわ」 反抗するように唇をきつく噛む祥子に、蓉子が零したのは苦笑で。 「……祥子」 近付いた蓉子の顔はスルリと右に逸れ、濡れたように艶めいた唇が微かに祥子の頬に触れた。 「それで、ご機嫌斜めの理由は教えてもらえるのかしら? くすくすと笑いながら、蓉子は顎の下で両手を組んでみせる。 そうと分かるから、蓉子も何も言わずに笑っているのだけれど。 「…………」 鼓膜の奥に届いた声に、蓉子は口許を引き締めた。 『お姉さまは、私の事などどうでも良くなったのではないの?』 届いた言葉を疑ってみるも、流れた髪の隙間から覗いた瞳に見えた感情は疑いようもなく……。 「祥子……?」 かけた声からすら逃げるかのように、祥子は更に顔を逸らした。 絶妙とも言えるバランスで均衡を保つ祥子の精神。 糸は何気ない仕種や言葉で摩耗して行き、いつかプツリと切れてしまわないだろうか。 そうと知っているからこそ、支えてくれる『誰か』を捜しなさいと言っているのに……。 そこに在ったのは、花と蝶−−。 蝶は鮮やかに咲き誇る花に惹かれ、その甘い蜜を求める。 花は艶やかな羽根をはためかせる蝶に魅せられ、蝶を誘う。 互いに互いを蝕んで、やがて終わる事は目に見えているから。 「…お、お姉さまッ」 驚きと少しの批難が混じる祥子の声に、蓉子はクスクスと笑った。 「Butterfly Kiss、ね」 「Butterfly?」 「そう、蝶が花に止まるかのように」 首を捻った祥子が見せたのは、怪訝な表情だった。 「言いたい事は分かりますけれど、そんな言葉は初耳です」 「……でしょうね。あの映画は決して有名ではないし」 「映画に出てくる言葉ですの?」 「確かに劇中でも出てくるけれど、タイトルがそうなのよ」 納得したようなしていないような曖昧な表情で、祥子は僅かに頷いた。 「それで、その映画はどうでした?」 「……忘れてしまったわ」 ストーリーは、朧げながらに頭に残っている。 だから、 「頭に残っているのは、そのフレーズだけ。その程度の映画だったのかもしれないわね」 なんて、何気なさを装って、予防線を張っておく。 縮めたくない距離を、それでも縮めたいと願うのは夢見がちな我が儘だと分かっているから。 「……祥子」 フッと漏らした吐息は、溜息とも含んだ笑いとも取れなくて、祥子は視線を凍らせた。 「何があろうとも、祥子は私にとっては大切な妹なのだから、それだけは忘れないで頂戴」 伸ばされた白い手が、祥子の髪をすいとかき上げた。 「……そうやって、ごまかす気ですわね?」 僅かに上気した頬で、祥子は唇を尖らせてみせる。 「さあ?どうかしらね?」 クスクスと笑って、蓉子は席を立った。 「帰りましょうか?」 貴女が私に重ねてみるものは、貴女の影。 私が貴女に重ねて見るものは、私の影。 近過ぎる距離は、互いを傷付けるだけだから。 だから、早く見付けて欲しいのよ。 蝶が花を枯らす前に…。 花が蝶を殺す前に…。 <END>
あとがき(反転して下さい) ……何じゃこりゃあ!! 御猫から感謝の言葉(反転しなくてもいいです/笑) コウさんから強要しました、素晴らしいシリアス蓉祥SSです! |