Butterfly……








『妹を作りなさい』


それは梅雨も明けて、夏休みを控えた今、薔薇の館ではよく耳にする言葉だった。

言うのは蓉子。
言われるのは祥子。

その言葉を口にすれば祥子の機嫌が悪くなると分かっていて、
それでも言う蓉子が意地悪なのか。
会う度に言われる事が分かっていてなお、
用もないのに薔薇の館に向かう祥子にマゾっけがあるのか。

何にせよ、二人の間ではこの会話は定番になっていて。
たとえ二人きりになったとしても、それは変わらない。

勿論今日も例外ではなく。
二人きりの薔薇の館で祥子が蓉子に入れたお茶は、
不機嫌な心を投影したかのように渋い紅茶だった。

(……ざらざらとして素敵な舌触りねえ)

苦笑と共に喉元まで出かけた皮肉すらも飲み込んで、
蓉子は何食わぬ顔でまずい紅茶を口に含んだ。

不機嫌な祥子が入れるお茶は、銘柄を問わずまずくなると分かっていて頼むのだから、
ある意味蓉子もマゾ気質なのだろう。

眉をひそめてむっつりと黙り込む祥子は、けれど帰る素振りもない。
ただ瞳の奥に不満を宿して、壁を睨んでいる。

(……まったく)

姉妹になったばかりの頃に比べれば幾分思いを口に出すようになったとはいえ、
本質的な部分は相変わらずで。

「……祥子」

蓉子が投げた声は穏やかだった。
ゆっくりと顔を向けた祥子は、やはり不満げな表情をしていた。
けれど、その眼差しの中に一抹の淋しさも見えたから。

「祥子?」

尋ねてみても、返答はなかった。
ただ、痛いくらいに感情のこもった眼差しだけが返ってくる。
目は口ほどに、とは言うけれど、それはあくまで漠然とした思いだけで、
細部までを語る訳ではない。

「祥子、言いたい事があるなら言いなさい」

相変わらず祥子は無言だった。

「お姉さまの」

「命令、ですか?」

刺々しく返した祥子は、けれどその声ほどは瞳に力はなくて。

「そうよ?」

柔らかに笑んだ蓉子に、小さな溜息を一つ。

「言葉にしてくれなければ、理解出来ない事は世には溢れているわ。祥子の事もそう。
いくら私が祥子の姉だといっても、祥子の全てが分かる訳ではないのだから」

「……嘘つき」

口の中で呟かれた言葉は、蓉子の耳にも届いた。
けれど、蓉子は聞かなかったフリをする。

「単純に言わせたいだけではなくて?」

祥子の問いに、蓉子は静かな微笑みを湛えた。
明確な答えを出さない微笑みは、思いを口にしない祥子への間接的な厭味でもある。
祥子にだってそれは分かったから、更に不機嫌そうに眉をひそめて、軽く唇を噛んだ。

微かに溜息を漏らした蓉子が、祥子へと手を伸ばす。
スラリと伸びた長い指が、紅い唇にそっと触れた。

「止めなさい、傷になるわ」

反抗するように唇をきつく噛む祥子に、蓉子が零したのは苦笑で。

「……祥子」

近付いた蓉子の顔はスルリと右に逸れ、濡れたように艶めいた唇が微かに祥子の頬に触れた。
急激に上がった体温が、触れた空気の温度までもを上げる。
不意打ちを喰らった祥子は、頬に手を当てて蓉子に視線を投げた。
視線の先では、蓉子が悪戯っぽい笑みを浮かべていて。


「それで、ご機嫌斜めの理由は教えてもらえるのかしら?
それとも、ご機嫌斜めは解消した?」


くすくすと笑いながら、蓉子は顎の下で両手を組んでみせる。
横目で眺める蓉子の視線から逃れるかのように、祥子はふいと顔を逸らした。
僅かに朱く染まった耳許が、気分を害した訳ではないと語っている。

そうと分かるから、蓉子も何も言わずに笑っているのだけれど。

「…………」

鼓膜の奥に届いた声に、蓉子は口許を引き締めた。
その声は、全てを拒絶するかのように硬く、けれど反して縋るように弱くもあった。

『お姉さまは、私の事などどうでも良くなったのではないの?』

届いた言葉を疑ってみるも、流れた髪の隙間から覗いた瞳に見えた感情は疑いようもなく……。

「祥子……?」

かけた声からすら逃げるかのように、祥子は更に顔を逸らした。
ぴしりと伸びた背からは常に纏う『強さ』が、
けれど背を向けて蓉子を見ない姿勢からは奥に潜む『弱さ』が見える。

絶妙とも言えるバランスで均衡を保つ祥子の精神。
それは細い糸で吊られるマリオネットのようにも思えた。

糸は何気ない仕種や言葉で摩耗して行き、いつかプツリと切れてしまわないだろうか。
糸の切れたマリオネットは、自力では立ち上がれない。
そして、その時に蓉子が傍にいるとは限らない。

そうと知っているからこそ、支えてくれる『誰か』を捜しなさいと言っているのに……。
もっとも、それだけが理由かと問われれば、素直に頷く事は出来ないのだけれど。


そこに在ったのは、花と蝶−−。


蝶は鮮やかに咲き誇る花に惹かれ、その甘い蜜を求める。
けれど、蜜は甘く香る麻薬。

花は艶やかな羽根をはためかせる蝶に魅せられ、蝶を誘う。
けれど、蝶が持つのは毒蛾の羽根。

互いに互いを蝕んで、やがて終わる事は目に見えているから。
だから、この距離が限度なのだと、自分に言い聞かせて−−。
瞬きの間に縮んだ距離と、唇に微かな感触。
触れたのは吐息だったのか、それとも……。


「…お、お姉さまッ」


驚きと少しの批難が混じる祥子の声に、蓉子はクスクスと笑った。


「Butterfly Kiss、ね」

「Butterfly?」

「そう、蝶が花に止まるかのように」


首を捻った祥子が見せたのは、怪訝な表情だった。


「言いたい事は分かりますけれど、そんな言葉は初耳です」

「……でしょうね。あの映画は決して有名ではないし」

「映画に出てくる言葉ですの?」

「確かに劇中でも出てくるけれど、タイトルがそうなのよ」


納得したようなしていないような曖昧な表情で、祥子は僅かに頷いた。


「それで、その映画はどうでした?」

「……忘れてしまったわ」


ストーリーは、朧げながらに頭に残っている。
けれど、祥子にそれを話す気にはなれなかった。
ハッピーエンドではなかったから、尚更なのだろうか。
いや、話してしまうと何かが崩れてしまいそうな気がした。

だから、


「頭に残っているのは、そのフレーズだけ。その程度の映画だったのかもしれないわね」


なんて、何気なさを装って、予防線を張っておく。
何かと忙しい祥子の事だ。
そう言われた映画をわざわざ見る為に時間を割いたりはしないだろう。

縮めたくない距離を、それでも縮めたいと願うのは夢見がちな我が儘だと分かっているから。
だからこそ、この距離を保てるのだろう。
姉妹という『特別』でありながらも、残酷な距離を。

「……祥子」

フッと漏らした吐息は、溜息とも含んだ笑いとも取れなくて、祥子は視線を凍らせた。
蓉子の見せた微笑は優しげで、どこか寂しい。


「何があろうとも、祥子は私にとっては大切な妹なのだから、それだけは忘れないで頂戴」


伸ばされた白い手が、祥子の髪をすいとかき上げた。

「……そうやって、ごまかす気ですわね?」

僅かに上気した頬で、祥子は唇を尖らせてみせる。

「さあ?どうかしらね?」

クスクスと笑って、蓉子は席を立った。

「帰りましょうか?」











貴女が私に重ねてみるものは、貴女の影。
そう在りたいと願う自分。

私が貴女に重ねて見るものは、私の影。
変われない私と変われたかもしれない私の姿。

近過ぎる距離は、互いを傷付けるだけだから。

だから、早く見付けて欲しいのよ。
望む自分ではなく、求める誰かを。






蝶が花を枯らす前に…。

花が蝶を殺す前に…。








<END>

Close

あとがき(反転して下さい)

……何じゃこりゃあ!!
つー訳でラブくもなきゃあ、エロくもないので普通にUPです。
御猫さん、もう少し待っていて下さいね(汗)。
つか……何だかなあ……。

御猫から感謝の言葉(反転しなくてもいいです/笑)

コウさんから強要しました、素晴らしいシリアス蓉祥SSです!
リクに合ってませんけれど、良作だと思います。静に痛んでる心が。
元々、シリアスや片思いや擦れ違いとか、嫌いじゃありません。(むしろ好き?)
だからこのSSも大変気に入ってました。(笑)
そして無理矢理持ち帰らせていただきました!わーい!(マテ
好きだから、結末もわかってますから、自分から身を引いた蓉子さま。切ない。
妹思いなお姉さまをやり続ける。けれど美しい感情です。
次作はゆっくり書いていいです。いつでも期待してますから。(笑)

コウさんへの感想はこちらから: hotchpotch69

2004.6.01

inserted by FC2 system