― kiss of life ―

 

春先の慌しさが嘘のように落ち着いた午後。
薔薇の館には紅の名を冠する彼女と、その蕾の二人しか居なかった。

退屈とは程遠い生活の方が見に染み付いている彼女にとって、エアポケットに落ち込んだような今現在のこの場の空気はあまりにも現実味に欠けているように思える。
ふと。友人の一人の退屈そうな、つまらなさそうな横顔などを思い出して軽く苦笑いした時。
大人しく隣に控えていた彼女の妹が、端麗な、けれども表情に乏しい面に微かに不思議そうな色を浮かべた。

「……お姉さま?」

妹の視線が、カップの縁を撫でる形で止まっているのが気になったのか彼女の指先に落ちる。
それとも。と彼女は考える。
今自分が妹を捕らえた眼差しが、退屈のあまり、少し何かに乾いている様にでも見えたから、わざと逸らされたのかもしれない、と。

「なあに?」

殊更にゆっくりと、妹が見守る指先をカップから離し。彼女はそうっと、手を伸ばす。
今となっては随分と慣れたけれども、彼女の妹は、元々、人に触れられるのも触れるのも酷く苦手な性質で。
去年の今頃にこんな真似をしようものなら、たとえ相手が先代の薔薇さまのどなたかであれ、激しい拒絶反応を見せていたものだったけれども。

「……あの。お茶のお代わりを」

伸ばした指先がその丈なす黒髪に触れた時、妹が小さいけれども抗議するような声音でそんな言葉を零したので。
彼女は思わず、くすり、と笑い声を立てた。
その笑いをどう受け取ったのか。彼女の妹は少し表情を強張らせ、彼女の指先から逃れるように身を引いた。
「オレンジペコで、よろしいですか」

強い口調とは裏腹に、どこかぎこちない動作で椅子を引いた妹の横顔にいっそう笑みを深くして。彼女は、その手で妹の肩を引き寄せた。
きゃ、と小さな悲鳴が彼女の耳元に触れる。

「お代わりなんて要らないから。そこに座っていなさい」

引き寄せた妹の体が、再び隣の席に落ち着いたのに満足して。
彼女は、肩を掴んでいた掌をそっと、妹の背中に流れ落ちる黒髪に滑らせた。
こうして抱き寄せ、ゆっくりと背中を撫でているうちに、警戒心の強い猫のような妹の体から、張り詰めたものが解け落ちていくのを感じるのが、彼女は好きだった。
春先の慌しい時期にはなかなか、そんな機会には恵まれなかったから余計に今は、こうして一緒に居られるのが嬉しい、などと思いをめぐらしなどしてみる。
さっきまで、退屈のあまり現実の世界の気配すら希薄に感じていたのが嘘のようだ。
全てに於いて忙しく立ち回ることが習い性になっている彼女にとって、山百合会での生活は至極向いていると言える。
けれども、それ以上にここでの彼女の有り様を支えているのはこの妹の存在であることは、おそらくは彼女以外の誰にも分からない実情なのだ。
彼女は、自分の腕の中に収まっている妹の顔をそっと見下ろした。
美しく誇り高く、けれども繊細で儚い、自分のたった一人のかけがえのない妹。
大財閥の一人娘として将来の薔薇さまとして申し分なく隙の無い姿も誇らしいけれども、他の誰かの視線を意識しないでいい時に見せてくれるこの姿が、彼女にとっては最も愛しい。

「……お姉さま……」

うっすらと色付いた唇が、何かを訴えるような小さな声を零す。彼女は、軽く微笑みながら、空いていた左掌でそっと、妹の頬に触れた。

「ねえ、祥子」

ただ触れ合う事にすら拒絶というよりも怖れに近い反応を見せていたこの少女に、初めて愛しさを伝え合う術を教えることが出来たのはいつのことだったろうか。
そんなことを思い返しながら、頬に添えた掌に少し力を加える。伏せられていた眼差しが、彼女の意図を察してか、躊躇いがちにこちらを見上げてくる。

――でも、まだ教え足り無かったようだわね。

張り詰めた思いと衝動をその中に抱え込んだ妹の眼差しを受け止めて、彼女は悪戯っぽい仕草でその頬をそっと撫でる。

「私と、キスしたい?」

真っ直ぐに目と目を合わせて、彼女は出来るだけ柔らかく言葉を投げかけた。
瞬間、彼女の妹の頬にかっと朱が走る。恐らく反射的にであろう、背中と頬に添えられた彼女の掌に抗うように小さく体を揺らす。
その仕草を敢えて許さないかのように彼女は、一方の腕で妹の肩を強く縛め、頬に添えていた掌を顎に滑らせる。
美しく紅潮した頬を強張らせているのが妹の潔癖で純粋な心の有り様そのものだと、彼女は知っている。
その生まれ育った環境故、ともいえるかもしれないけれども彼女の妹は、与えられるものに対するよりも与える事に対する忌避感が強い。
言い換えれば、自身の衝動や欲望に忠実に行動することに対する怖れが強いのだろう。
でも。
そのままでは、何も変わらない。
妹自身も。そして、彼女との在り方も。

「祥子……?」
「ご冗談は、およしになって下さい」

――冗談だなんて、思ってもいないくせに。

「駄目よ。ちゃんと答えなさい」

ただの意地悪でこうなっているのだと、そう解釈することで逃れようとする妹を、彼女は少し強引に仰向かせた。
もう、互いの吐息が混ざり合う程の距離しか。二人の間には残されていない。

「祥子」

今度は、はっきりと。容赦の無い声音で、問い掛ける。

「答えて。私と、キスしたい?」

彼女の妹の、美しい眉が何かの痛みに耐えるかのように僅かに歪む。見開かれた瞳が、微かに潤み始める。
彼女は、少し表情を和らげると、その唇を妹の瞼にそっと落とした。

「私はね、あなたが愛しくてたまらない。だから、あなたに触れたい時にあなたに触れるし、キスをしたいと思えばそうする。そして、あなたがそれを拒まない事もちゃんと分かっているのよ」

そして、一度だけゆっくりと、妹の体を抱き締める。

「あなたには、それが分からない…?」
「そんなこと……!」

抱き締めて直ぐに体を引き離した彼女の腕を縋るように掴み取って、彼女の妹は強く首を振る。

「じゃあ、あなたもちゃんと言って。言葉にして、行動に表わして。そうじゃないと、いくら私でもあなたに愛されているのかどうかなんて、いつまで経っても分からない」

そういって再び見つめた妹の瞳は。先程までと同じように、微かに潤んではいたけれども。
やがて、怖れと迷いの入り混じった色は消え。代わって、戸惑いと恥じらいと、そして、彼女の妹らしい強い輝きが満ち始め。
噛み締められていた淡い色の唇が開かれると、そこから思いの他強い調子で言葉が飛び出した。

「お姉さま、私、お姉さまとキスがしたいです」

その言葉が耳に届くのと、殆ど同時に。
彼女は、両肩を強く引き寄せられた。それこそ、目を閉じる暇もなかった。
妹からの、初めてのキスは。
触れ合うとか、ぶつかり合うとかいうよりも。
唇の上を、柔らかな。けれども慌しい嵐が滑り去るような感じだった。
そんな初々しい口付けであっても、妹にしてみれば必死の行為だったのだろう。頬を、先程までとは比べ物にならないまでに真っ赤に染め、彼女の両肩を押しやるようにして体を離そうとする。
彼女は、その手をとって、改めて引き寄せた。

「待ちなさい、祥子、」
「私は、お姉さまが好きです!」

見た事も無いほど真っ赤になって俯いたまま、彼女の妹が叫ぶ。

「これで、お分かりいただけましたでしょう!?」

そう言って、拗ねたようにそっぽを向いてしまった妹の肩に、うなじに。
そっと掌を滑らせて、彼女は、微笑んだ。
恥ずかしげに俯く妹を優しく仰向かせ、今度は自分から唇を寄せる。
負けん気の強い妹が放ちかけた抗議の声ごと、その唇を塞ぐと。
彼女は、誰よりも愛しい、たった一人の妹を強く強く、抱き締めた。

 

 

― 了 ―


御猫の感謝コーナー:

一橋さまからの蓉祥SS、kiss of lifeでした!
無理やり書かせる甲斐ありましたね!(マテ)…凄く素敵な蓉祥SSでした!!ツボに直撃ですよ、一橋さん!

本当、書いてくださって大感謝しておりますっ(平伏)
こういう蓉祥が大好きですよ。ちゃんと祥子さまからのキスを書いてくださるだもの。(笑)恥ずかしさを耐えながら蓉子さまに精一杯にキスするお姿が、堪りません!!
それに余裕な態度で接する蓉子さまがまた、萌えでしょうがないです!あー!蓉祥好きだなぁ!(もういい)

…ついでに無用な挿絵も描いちゃいました…よろしかったら、ここでご覧でくださいっ!(汗)
しかもエラー絵なので挿絵じゃなくてイメージ絵にして置きました!すみません私はバカです。(平伏)

一橋さまに感想を送りたい方は、こちらからどうぞ>『一橋的迷想宮』・一橋さま

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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